2018年2月19日月曜日

32年前の旅

 今冬期オリンピックの真っ最中。
  取り分けスノーボード、ハーフパイプのゲームは見応えがあった。
 平野の滑りも素晴らしかったが、今回はショーン・ホワイトのダイナミックな滑りがひたすらカッコ良かった。
 彼等の滑りはラップダンサーのバトルを見ている様で、69歳のこの爺までスノーボードをやりたくなる位楽しそうに見えた。
 アスリート達は好きなスポーツを上手くなって行く事が楽しくて、もっと上手く、強くなりたくてトレーニングを続けているのだ。その結果更に上手く成って、そのスポーツがより楽しくなるから又更なるトレーニングで高見を目指すのだろう。
 良い結果が出る事で喜びが増し、更に上を目指す。時に負けた時、悔しくて又トレーニングを重ね、リベンジを目指すのだろう。
 やはりスポーツはアスリートにとって一種の麻薬、目標=快楽の頂点を極める迄止められない、麻薬なのであろう。
 私はアスリートには成れなかったが彼等の気持ちがある部分、理解出来る。
 私はフライフィッシングという遊びの楽しさを26歳で知り、その楽しさからフライフィッシングの道具=バンブーロッド製作と言う仕事をライフワークにしてしまった。
 このフライフィッシングもバンブーロッド製作も面白くて、終点が無いのはスポーツに良く似ている。
 私もアスリート同様、フライフィッシングが常に上手くなりたいし、より良いバンブーロッドを作りたいと思い続けている。フライフィッシングのキャスティングトレーニングも楽しいし、釣の結果を元に、より良いバンブーロッドを作る事を苦しいと思った事は無い。逆にロッド制作作業をHF旅などで10日も休むと、不安になり、ストレスから禁断症状が出る。
 バンブーロッドは自身の納得のスタイルを最後迄追求したいと思っている、又バンブーロッドの鱒釣りフライフィッシングを生涯掛けて楽しみたいと思っている。



 その昔はヤマメ釣りのフライフィッシングだけで十分楽しかった。それが高じて釣業界で仕事を始め、日本全国の川を歩き、釣の経験を重ねた。その中で芦澤一洋さんや素晴らしい川や魚、仲間達との出会いで、私の鱒釣り熱が更に高まって行った。 
 1986年7月初めて本場アメリカの鱒釣り=初めての麻薬を体験する。
 私はその年まで先生芦澤一洋さんから何度も誘われていたアメリカ行きを5年以上断り続けていた。
 「ヤマメ屋の私にアメリカは必要ありません」そんな風に言って。
 只1985年北海道で45cmの虹鱒を釣、その喜びを電話で芦澤さんに話した所、
 “そのロッド(その時使った私自作の764のグラファイトロッド)では、アメリカの同じサイズの鱒は取れないぞ”と断言され愕然。
 アメリカ鱒の強さは半端では無い事を改めて聞き、ならばと一年発起でアメリカの鱒釣りのメッカ、アイダホ州のHenry's Fork(以下HF)とモンタナ州イエローストーンの鱒釣りに芦澤さんと一緒の出掛けたのだった。

 旅初日はアメリカの空の広さに息を詰まらせた。抜ける空の青が泣けた。
 アメリカ2日目、目の前に居たスーパースターMike Lowsonに手が振るえた。
 異国の興奮で、数えて4日間一睡も出来なかった。

鱒釣り地獄の入り口。釣り人は100%この美しさにだまされ・・・

 釣は初日から快調で、初日の夕方まぐれでHFの20㌅オーバーの大物を掛けてしまった。
 掛けたが50cmを超える、しかもアメリカの強力鱒の強さを知らない日本のヤマメ屋は、日本の釣り同様ラインを絞りに絞った。
 「アキマル!!ラインを緩めろ〜!!」という芦澤さんのアドバイス。聞こえていたが耳には入ってなかった。
 鱒が引けば引く程、もがけばもがく程、私も負けじとラインを絞った。
 耐えて、耐えた数秒後、ロッドティップとラインが空に跳ね上がった。
 5xのティペットが切れたのだった。
 天を仰ぐ私。下流から上がって来た芦澤さん。
 「おおきかったな〜。50は超えてたぞ・・・ラインを緩めないと・・・」
 只ただ呆然として声の出ない私。
 やがてラインを巻きながら、ため息が一つ。
 一呼吸置いて私。
 「いや〜凄いですね。Henry's Fork・・・・・ただですね〜・・・
只、あれはあれで良かったんです。世界最高峰のHenry's Fork初日から、僕があの大物をとっていたら僕はHenry's fork の釣をナメてしまっていた筈ですから」
 芦澤さんと握手。私の肩を叩きながら芦澤さんが言った。
 「良し!!次やろう!!」
 その後ギャラティンリバー、マジソン川、イエローストーンリバー等々、20㌅オーバー鱒を旅のメンバー全員が数えきれない程釣った。
 HFももう一度釣った。しかし究極難度のマッチ・ザ・ハッチのHFは、ヤマメ屋の私には一度も微笑んではくれなかった。
 有名なパーキングお立ち台前対岸のヤマメ川の様な荒瀬の中から38cmが一匹。
 鱒釣りのメッカHenry's Fork マッチ・ザ・ハッチの釣で、“荒瀬で掛けた38cm”は逆に釣り人を涙させる。
 釣最終日、他の人はマジソン川のフリーストーン釣に行くも、私は頼み込んでHFをもう一度やらせて貰った。
 しかし朝10時に始まったPMDのスーパーハッチから夕方7時以降のフラブのスーパーライズ迄、私の投げた数百投のフライは、ライズを避ける様にして総てが通り過ぎて行った。
 そして薄くなった夕暮れ9時
 「アキマル〜〜〜!!あ・が・る・ぞ〜〜」の芦澤さんの声。
 The END。
 片手を上げ、答えながらリールを巻く私。
 そして何故だか分からないが涙。止まらない涙。
 下流から寄って来た芦澤さんが2m程離れた所で立ち止まる。
 私が彼の顔を見て、作り笑い。
 芦澤さんが頷き、私がもう一度作り笑い、今度は恥ずかしげもなく涙を拭いた。
 涙の意味を察した芦澤さんが私の肩を叩き、がっちりと握手。
 私は帰路の流れを歩きながら思った。
 “ 何故私はこの37の歳迄、この素晴らしい川を知らなかったんだろう”
 それが悔しくて仕方なかった。
 そして バンクから流れに最後の別れを告げながら“来年も来るから”と誓う。 
 そして帰国の飛行機の中で “ 毎年HFを釣るにはどうしたら良いのだろう・・・” と考え始めていた(・・挙げ句この翌年アメリカに3ヶ月滞在を2回、バンブーロッド製作を習う事に。この時から地獄から抜け出せないでいる😢)
HF鱒の美形。この魚の頃にはHF地獄にドップリと嵌まっていた。
この旅でHFのマッチ・ザ・ハッチの鱒釣の本物の面白さを覚えたと同時に、他のフリーストーン川で釣った百匹以上のアメリカ大鱒との駆け引きの中から、日本の釣では感じれないバンブーロッド制作上のヒントやアイデアを山ほど見つけていた。
 それは、バンブーロッドは鱒によって鍛われ、進化して行く。
 大物鱒がバンブーロッドを鍛え、磨いてくれるという確信だった。
 以後32年私はHenry's Forkという最高純度の麻薬を味わい続けている。
 AKIMARU BAMBOO RODSの総てのロッドは、毎年通うHenry's Forkの大鱒釣りで間違いなく鍛われ、進化している。
 私に取ってHenry's Forkはさながら、オリンピックの会場、ただし鱒釣りに順位や競争は無いのだが・・・。

2015年のHF麻薬中毒患者

 冬期オリンピックで見るアスリート達のナイスゲームに32年前の新鮮な感動を思い出した。