2023年7月27日木曜日

2023 Henry's Fork旅  その4

 The Bamboo Rod Life

 6月20日 The Bamboo Rod Days 2日目。前日Ashtonで最高の釣りが出来た日本人メンバー達は今朝は余裕の朝寝。釣りは昼からとの事。会場には私とChris 、Bamboo Rod に興味深々の谷澤君と写真記録担当の福岡の最所君・・・君=くんと言っても彼は60歳。今回パーティの平均年齢は60歳代半ば。今の還暦越えは元気が良いのだ。

 この日は一人の男との旅前の約束から始まった。

 昨日の様にテーブルにロッドをセッティングしている所に声が聞こえた。振り向くと髭の男が立っていた。初めての対面だった、しかし彼が何者かすぐにわかった。わかった瞬間固く抱き合った。抱き合ったと同時に涙が溢れ出た。大男も号泣し始めた。肩を叩き、背中を撫で続けた。それでも彼の号泣、私の男泣きは止まらなかった。

 ひとしきり彼の背中を撫で続け、涙が収まるのを待った。やっと収まったのを見定めて挨拶を交わした。「会えて嬉しいよUrs。今日はわざわざ有り難う。あなた達家族の悲しみは痛いほど分かる、だけど今日はHunter の事を聞かなければいけない。それは大丈夫かい?」その言葉が終わらない内にUrsの目から涙が又しても溢れ出た。下を向き、横を向き涙を堪えるUrsの背中を私は撫で続け、私も涙をぬぐい続けた。

  2019年アメリカ人からの突然のHEXAロッドのオーダーメール。それがUrsこと、Urs Blattmannとの交流の始まり。アイダホでフィッシングガイドをやっている息子が聞いてるAkimaru Bamboo Rod の噂と、ホームページの美しさを見てオーダーをくれたというのだ。翌年2020年6月にHenry's Forkで会い、一緒に釣りをする約束をした。だがコロナで会えなくなった。 完成したロッドはアメリカまで送った。届いたロッドがえらく気に入ってくれた様で、2020年秋又1本、彼からオーダーが入った。狂信的なバンブーロッド好きの様だ。ランディングネット の製造販売も息子達と一緒にやってるらしい。2021年初頭コロナ状況も少し収まりの兆しが見え、Urs の2本目のHEXAロッド納竿を兼ね、この年6月のHF行きを模索した、ギリギリまでアイデアを考え続けたがやはり無理。やむなくUrsに断りを言いロッドはUPS便でアメリカまで送った。この時点で 2020年 2021年そして2022年までHFには行けない事が確定。下手をすると2022年の6月もまだコロナで無理かもしれない?!

 2021年夏、HFに行けないストレスから私は本物の鬱状態に陥った。ロッドが届いたUrsからのお礼のメールに返信でその鬱状態を説明した。するとUrsが本気で心配してくれ、「来年はコロナも収まる予想がアメリカでは出ています。ですから2022年はHFで一緒に釣りを出来ますから元気を出してください。あなたに元気が出る様にもう1本新しいHEXAをオーダーします」そう言って3本目の764 3pc HEXAのオーダーをくれたのだった。このUrsの心遣いは神底嬉しかった。いつか彼にこの恩返しはしなければと、心底思える嬉しいタイミングのオーダーだった。


  話を元に戻そう。Ursの号泣の訳は・・・・・

 Ursの最愛の息子 Hunterが今年の4月、交通事故で突然亡くなったのだった。25歳の息子を突然亡くした父親や母親、家族の悲しみは当事者以外では絶対に分かりえない深さの悲しみであろう。私はUrsの肩を抱き、背中を撫で続けるしか方法は無かった。同行の21歳の弟 Pirmin も側で涙を拭き続けていた。

 4月の訃報時点で6月にHFで Ursと会う事はもう諦めていた。しかし5月の終わりにUrsからメール、6月の18日にHenry's Forkの近くに住んでいたHunterの家に荷物の整理に行く。ついては6月20日にBamboo Rod daysの会場に会いに行くから。との嬉しいメール。その返信に私は自分の想いの丈を綴った。

 「 Urs メール有り難う。悲しみは収まらないでしょうが、家族と協力して少しづつ、少しづつ笑顔と元気を取り戻していってください。Hunterはいつもあなた方家族を見守ってくれていますから。あなた方家族の深い悲しみが少しずつで小さくなる事を僕も祈ってます。この1ヶ月あなたの力になれる事を僕なりに考えていました。するとアメリカ東部の有名なFly Fishing 博物館 Catskill 博物館がAKIMARU BAMBOO ROD  HEXAの展示会を開催しよう、という嬉しいNewsが届きました。

 そうだ!!このNewsで私は直感しました。これだ!!この展示会用ロッドでHunterのメモリアルロッドを作ろう。メモリアルロッドをUrsに使って貰えば、UrsはいつもHunterと釣りを一緒に楽しめる!!私はあなたと家族の悲しみを少しでも和らげられたらと思いこの計画を思いつきました。Urs少し気持ちが落ち着いたら、このHunterメモリアルロッドの話をしませんか?・・・・・」 

 Ursから即答で返信が来た。「Aki  貴方の心遣い本当に有り難う。心から感謝します。Hunterのメモリアルロッド是非作ってください。6月の20日にBamboo Rod Daysの会場に貴方に会いに行きます。その時にメモリアルロッドの事を詳しく相談しましょう」と結んであった。

 Hunterはネイチャーフォトグラファーでありアイダホのプロのフィッシングガイドだった。 やはり彼もHenry's Forkがホームグランドだった。7本持参していたロッドの中からUrsが選んだメモリアルロッド第一候補は 7'9"  #4  2pc  の私の最高傑作 794-2 Henry's Fork Special  メタルフェルールロッドだった。

 ショートキャスト、ミディアムキャストそしてロングキャストいずれもUrsがうなづく。キャストしながら又Hunterを思い出したのだろう。キャストをやめ、携帯の写真を私に泣きながら示す。私ももらい泣きながら彼の背中を撫で続ける。Hunterがセンスの良い写真家だっと事が分かる美しい写真が続く。少し落ち着くと私にラインを持たせ、ロッドの強さとベンドを確かめる。さらにカーブやリーチまで距離を変え試していく。涙の中に手応えもみれる。そのキャストは魚釣りを知っている『本物の釣り人』のそれだった。小1時間ほど涙のキャストと思い出話は続いた。そしてやっと納得の笑顔がUrsに見えた。

 「 OK Aki この794でいきましょう。この794だとあらゆる場面で使えるし、大きな魚も全然問題なさそうです。このロッドが Hunterも一番喜ぶでしょう」そう言って又涙した。

 私は1987年からプロとしてバンブーロッドを通じてFly Fishing に関わって来た。私は竿屋のプロとしてオーダーされたロッドのベストを作る。それが仕事。結果納竿したロッドが使い手に喜びや幸せを作っている事は理解出来る。このHunter のロッドも私はベストのロッドを作り、Ursに渡す。あとは完成したHUNTER 2023 = 794-2 Henry's Fork Special がUrsに笑顔をもたらしてくれる事を希望する。 

 Liam Hunter Josef Blattmann   享年25歳 

 君に会いたかった、一緒に釣りをしたかった。父さんや母さん、そして家族をいつも見守っていてください。ご冥福をお祈りします。

  下がHunterの作品。彼のサイトの一部をお母さんJeimy が添付してくれた。是非覗いて見てください。   https://jamieblattmann.smugmug.com/Hunter-Blattmann

             

    



 " Time is but the stream I go a-Fish in. I drink at it : but while I drink I see the sandy bottom and detect how      shallow it is. Its thin current slides away, but eternity remains "
               Henry David Thoreau

 UrsがHunterのメモリアルカードに綴った、ソローの言葉、胸に染みる。

 Brother Frank の事

 6月20日午後、最後にもう一つ。

 釣り話よりも先にこの話をさせていただく。
 Urs の息子Permin に親父の事を頼み、固い両手の握手。最後にもう一度Ursと写真を撮ってガッチリ抱擁。彼らを見送る。気持ちを落ち着かせる為にベンチに腰かけて呼吸を整えた。
 最初からUrs と私の側で写真撮影をしていた最所君が泣いていた本当の理由を聞いて来た。 説明しながら又涙、そして又彼も涙を抑える事ができなかった。
 
 しばらくするとテーブルにサンフランシスコの親友 Brother Rouelがやって来た。
「どうだいBrother?調子は?・・・・・ちょっと話があるんだけれど」
「何んだい?又飲み会の話だろ?!飲み会は今回はもう勘弁してくれ、もう俺は年寄りなんだから」そう言ってその場を逃げようとしたら、Rouelが言った。
「違うって!!Aki・・・・Frankが亡くなったんだよ」
「What?! 」
「What???!NO! NO!  Frankが亡くなった?」
「1ヶ月前、喉頭癌が再発したんだ」
「嘘だろ!嘘だと言ってくれよ?!」
「残念だが、本当の話なんだ。喉頭癌だよ。71歳だったよ」

 2011年あの東北大震災の年、皆が止めるのを敢えて、振り切って出かけて来たHenry's ForkのTV撮影旅、The Bamboo Rod Days 2011 へ始めて参加した。
 このイベントのオーナーであるNelson Ishiyama さんに挨拶の行った帰り、ロッジの駐車場で大男とフィリピン系の顔をした2人ずれに声を掛けられた。「今晩のHenry's Fork Dinner のチケットが3枚あるんだけど、要らないか?」と言うのだ。Henry's Forkのダフ屋???私達は即答で、そのチケットを購入した。その日の夕方、そのチケットを持って会場へ。指定のテーブルに行くと其処に駐車場の大男のFrank そしてRouel の2人も座っていた。そのテーブルネームが なんとあの名門 Fly Fishing Club " The Golden Gate Angling & Casting Club "だったのだ。2人はとんでもなく良い奴らだった。一滴も飲めなかった酒がこの2人とならばグデングデンになるまで飲めるのだ。この翌日The Bamboo Rod Days で更に意気投合。
 その翌日「トラウト ハンターのバーでお前の歓迎会を15人ほどでやるから来い!!」とFrank。
 兄弟の契りまで交わしたBrother Rouel とFrank からの誘い。断れるはずがない。
 その歓迎会ではグデングデンになるまで、怪しい韓国産の日本酒に付き合わされ、どうやって宿泊先のロッジまで帰ったか分からない程痛飲。気がついたら翌朝、ベッドのサイドボードに寄っ掛かり、床に座ったまま寝ていた様だった。翌年もお約束の歓迎パーティ。この時はお土産に侍の被り物を持参していた。それを被ったFrankが最高に受けた。Trout Hunter Bar の他の数十人の客も大拍手の盛り上がりだった。


 今もその時の爆笑シーンを鮮明に思い出す。突然アメリカからの電話に慌てふためいた家内、その相手がFrankだった。
最初の手術は上手くいき、術後に元気な顔も見れて安心していたのだが・・・・コロナの4年間は・・・・返す返すも悔しい!!

 Brother Frank Moore   享年71歳   そちらでも良い釣りをしてくれ。俺もまもなく行くから。ご冥福をお祈りします Aki

 6月21日  Brother Rouel の手作り料理と彼と友人のギターセッションの中、Frankのお別れ会が淡々と笑顔で進んでいった・・・・・・・・・旅も人生もまだまだ続く